2019年

By yamakoshi, 2019年1月6日

あけましておめでとうございます。ここを読んでいる人がどれくらいいるかわからないけれど、今年もよろしくお願いします。 音源を公開した年末、何人かの人が聞いてくれている。こんなスローな活動をしていて、世の中にはたくさんの音楽が絶え間なく生まれ続けている中で 限られた1日の中でこの曲を選びとって聞いてくれる方々には、文字通り感謝の気持ちありません。 少しでもその方々に対して誠意ある行動とは、言葉とは、何だろうか。 考えるまでもなく、今まで以上に音楽に柔らかくも、つよく、力強くも、しなやかに、涙が出るほどにやさしく、はげしく、音楽に、歌に、向き合うことだと思っています。 前のバンドから今に到るまで、やりたいこと、やれること、それらの乖離を眺めつつ、表現を模索している。 好きな音楽がたくさんある、僕ができることはなんだろうか、憧れのあの人とは得意なキーも違う、それでも必死に模倣した上で、オリジナルを模索してきた。 それらをやっている中で、虹って曲ができた。これは病院の待合室にある高窓をふと見ると、小さな虹がかかっていた風景と その小さな虹のように間も無く空にかえっていった命からつくった。そこには音楽も鳴っていなかった、憧れのバンドもなかった。 ナチュラルにその場所にいる自分から溢れ出て「しまった」ような曲だった。他の多くの人間がどうやって音楽を作っているのかは知る由もないが 僕にとっての音楽の作り方はこうあるべきなのではないかと、改めて噛みしめるきっかけになったような曲だった。 その瞬間、今に、とても向き合えていたのではないかと思う。昨年は仕事も転職し、手探りなことも多く、目の前のタスクを捌くのに精一杯だった。 振り返ると、仕事は「こなした」かもしれないが、文字通りの日々のささやかな出来事を、天気を、日差しを、妻との会話を、音楽を、誰かの笑顔を、怒りを、言葉を、 どれだけニュートラルに受け取ることができたのだろうと考えると疑問が残る。そこに隠れていた、眠っていた、小さなメロディがあったのではないか、そう思っている。 そういった意味合いで、今年は奇しくも長年連れ添っている熟年夫婦のようになっている音楽や歌と、改めて新鮮に、もう少し意識的に、向き合っていきたい。
年末に子供が生まれた。生まれる瞬間には音はなかった。とても静かで、とても神聖な、少し遠いような、そんな感じだった。 産声を聞いた瞬間から、時間のカウントダウンは始まっている。生まれる場所でとても意識したのは、生と、死だった。 生はものすごい感動や、あらしのような喜びという感じよりも、ただ、静かで、とても小さく、だけど力強いものだった。 何となく、きっと死もこういう感じなのかなあと感じた。恐れや悲しみという感じよりも、静かで、力強いもの。 気づけば多分人生の三分の一を過ぎた、元気で犬のように叫べるのもあと何年あるだろうか。僕らは老いていく。 97歳の祖母に会った、子供の動画を見せた、いい子だねと言っていた。そこには生と死があった。
僕らの時間は限られている。 何度目かの誓いを立て、何度目かの破られた約束を結び直して、今日も眠りにつくだろう。 日々はまるで縁石の上、両手を広げて、バランスとり、何とか歩いていくだろう。 思い出ひとつすら持ってはいけない、呼吸の終わりへ向かっている。 だれも気づかないほど静かな革命を、この世界にあるきれいなものを だれかのいぶきに繋がるよう、たどたどしくも、たしかに、集めるよ。